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暮らしのヒント

国会議員のボーナス据え置きで考える、”賞与”という日本独特の仕組み

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国会議員のボーナス(期末手当)据え置きが話題になっていました。物価高騰が続く中、「なぜ据え置き?」「民間は減っているのに」という声も少なくありませんでした。

このニュースを見ていてふと思いました。

そもそも”ボーナス”って、なぜ”賞与”と呼ばれているんだろう?

英語の”bonus”をそのまま使わず、わざわざ「賞」と「与」という漢字を当てました。そこには、日本人のボーナス観が凝縮されているような気がします。


「賞与」という言葉の意味

「賞」はほめる・たたえること。「与」はあたえること。

つまり「賞与」とは、文字通り**”よく頑張ったことをほめて、与えるもの”**です。

英語の”bonus”が「追加・おまけ」という意味に近いのに対し、「賞与」には評価と感謝が込められています。単なる上乗せ給与ではなく、「あなたの働きを認めています」というメッセージが言葉に乗っているのです。

この小さな漢字の差が、日本のボーナスに対する独特の感情的な重さを生んでいるのかもしれません。


日本のボーナスの始まり――「ごほうび」から制度へ

日本のボーナスの原型は、江戸時代の商家にさかのぼります。

奉公人に対して、年に2回(盆と暮れ)に「もち代」や「心付け」として金品を渡す慣習がありました。現代のように就業規則に明記されたものではなく、「今年もよく働いてくれた」という主人から奉公人への労いに近い意味合いでした。

これが近代化の中で少しずつ形を変え、明治・大正期には官庁や大企業が「賞与」として制度化しました。戦後の高度経済成長期には、夏と冬の年2回支給が一般労働者にまで広く定着していきます。

注目すべきは、この時期に「賞与の使い道」まで社会に根づいたことです。家電・車・旅行を「ボーナス払い」で買う文化が生まれ、賞与支給日に合わせた百貨店のセールが盛況を極めました。ボーナスは個人の収入というより、日本経済全体の季節的な血流になっていたのです。


「もらって当たり前」になった背景

なぜボーナスがここまで”当たり前”になったのでしょうか。

その根底には、終身雇用・年功序列・企業内組合という日本型雇用の三点セットがあります。会社は社員を長期的に抱え、社員は会社と運命をともにする。その関係の中で、ボーナスは「会社の業績を社員と分かち合う仕組み」として機能してきました。

さらに見逃せないのが税制上の扱いです。日本では社会保険料や税の計算が月給ベースで設計されているため、企業にとって月給より賞与で払うほうがコスト効率が良い面があります。これが「基本給を低く抑え、賞与で補う」という構造を後押ししてきました。

つまりボーナスは、慣習・感情・経済合理性の三つが重なってできた、きわめて日本的な産物なのです。


データで見る「ボーナス格差」の現実

しかし現在、その「当たり前」は大きく揺らいでいます。

厚生労働省の調査によると、何らかの形でボーナスを支給している企業の割合は全体の約88〜92%に上ります。一見すると「ほとんどの企業が出している」ように見えますが、問題はその中身と届く範囲です。

支給対象が正規社員のみに限られているケースは多く、非正規労働者には支給されないことがほとんどです。日本全体の雇用に占める非正規の割合は約4割に達しており、企業としては「支給している」でも、働く人全体で見れば「もらえていない人」は決して少なくありません。

また、支給額の格差も広がっています。大手製造業や金融機関では年間100万円を超えるケースも珍しくない一方、中小企業では数万円にとどまるケースも多くあります。「支給あり」の一言では語れない、大きな差が存在しているのです。

私自身、転職後に初めてそのギャップを体感しました。前職では夏冬まとまった額をもらっていたのに、転職先では「業績により支給」の一文があるのみ。7ヶ月目のボーナス月に振り込まれたのは5万円でした。基本給の何パーセントなんだこれ、と脱力した記憶があります。そしてその瞬間に悟りました。ボーナスは「あるもの」ではなく、「あるかもしれないもの」に変わっていたのだと。


国会議員の賞与問題が気になる理由

そう考えると、国会議員のボーナス据え置きへの反発は、単なる額の問題ではないことがわかります。

物価が上がり、手取りが実質的に目減りしている中で、自分たちの「賞与」を守った。その事実が人々を苛立たせるのは、ボーナスが「頑張りへの報い」という感覚を、まだ多くの人が持っているからではないでしょうか。

かつて賞与は「よく頑張ったね」という社会からのメッセージでした。だからこそ今、賞与のニュースは単なるお金の話ではなく、日本人の「働く安心感」と「報われる感覚」そのものを刺激するのかもしれません。


おわりに――ボーナスの未来

成果主義の浸透、年俸制の広がり、副業・フリーランスの増加。雇用の形が多様化するにつれ、「賞与」という仕組みそのものが問い直される時代になっています。

「賞与」という言葉が生まれた背景には、働く人を認め、報いようとする意志がありました。その精神は形を変えながらも、どこかに残っていてほしいと思います。

ボーナスをもらえる人も、もらえない人も、「自分の頑張りが誰かに届いている」という感覚は、きっと同じように必要としているはずですから。


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